残業をして、家に帰ったら羊がいた。
ふわふわもこもこしたグレイの毛。
時折ピクリと動く長い耳。
そこからぶら下がるチェーンと、それに連なる赤い細石。
(´・_ゝ・`)「……………………えぇ?」
間の抜けた声がリビングに響き、羊はピクリと前脚を動かした。
蹄とフローリングの擦れる音がして、僕はようやく気付く。
これは夢ではないのだと。
羊が食べたいようです
(´・_ゝ・`)(とりあえず一服しよう)
やっとこさ現実を受け入れた僕はまずそう思った。
(´・_ゝ・`)「…………」
羊を凝視しながら胸ポケットを探る。
タバコの箱はすぐ見つかった。
中身の軽いそれの蓋を開け、ライターも取り出した。
箱に空きが出来たらすぐそこにライターをしまうのが僕の癖であった。
ちょっと油断するとどこにしまったのか、それとも置いてきたのかがわからなくなってしまうのだ。
(´・_ゝ・`)「…………」
タバコをくわえ、火を点けかけて。
……だけど、止めることにした。
部屋の中でタバコを吸うとペニサスが怒るからだ。
彼女の姿は未だに見ていないが、タバコを吹かしている僕を見たらきっとこういうだろう。
この部屋に一番長くいるのは誰だと思う?と。
(´・_ゝ・`)(そういえばどこにいるんだろう)
玄関に彼女の靴はあったし、キッチンには誰もいなかった。
風呂場も人の気配はしなかった。
ともすれば、寝ているのかもしれない。
僕は寝室に向かうことにした。
(´・_ゝ・`)(どこから連れてきたんだろう)
家の近くにや牧場も動物園もない。
いや、あったとしても羊を買い付けるような人がいるだろうか。
そもそも何の為に羊を買ったのだろう。
(´・_ゝ・`)(セーターでも編んでくれるつもりだったとか?)
ふざけたことを考えつつ、僕は静かに羊の横を通り抜けた。
羊は未だに眠っている。
時々すぷーすぷーと奇妙ないびきが聞こえてくる。
こういう音を聞くとどうにも鼻をつまみたくなるのだが、相手は羊である。
怒らせたらどうなるかなんてわからない、というか想像つくはずもなかった。
そういえば一度、ペニサスがいびきをかいていたことがあった。
あれはたしか彼女がまだ大学に通っていた頃の話だ。
試験だのレポートだのに追われて、平気で三日四日徹夜していたことがあったのだ。
まぁその時のやつれっぷりときたら、目も当てられないくらい酷かった。
家事をする暇だってないから、僕は彼女のアパートに通いつめていた。
ちょっと目を離すと平気で食事は抜くし、服も着替えない。
風呂にも入らないからやむなく僕がペニサスをひん剥いて風呂場に放り込んだことすらあった。
('、`*川『デミタスが来てくれてよかったわ』
僕の作った肉豆腐をつまみながら、心底嬉しそうに彼女はそう言った。
肉豆腐といっても立派なものではない。
豆腐の賞味期限は切れかけていたし、野菜だって玉ねぎしか入っていない。
肝心の肉もベーコンだし、それでもなにか食べさせてあげたかったから作っただけなのだ。
(´・_ゝ・`)『今度からは材料を買っていかないとね』
('、`*川『いいわよ、そんな』
(´・_ゝ・`)『君ねえ……。他になにが冷蔵庫の中に入ってたと思う?』
('、`*川『……卵とか』
(´・_ゝ・`)『賞味期限、一月も過ぎてた』
('、`*川『み、味噌とか……』
(´・_ゝ・`)『冷えピタと五円玉と修正テープが出てきたんだけど』
一瞬考え、ペニサスは噴き出した。
('、`*川『全然入れた覚えないんだけど』
(´・_ゝ・`)『君、酔っ払うとよくわからない事をするからね。その時の産物じゃないかと思ってるんだけど』
('、`*川『かもしれないわ』
わずかに残ったあんかけを口に運び、彼女は苦笑いした。
('、`*川『ごちそうさま。すっごく美味しかったわ』
(´・_ゝ・`)『それはよかった』
軽くなった食器を受け取り、僕はそれらを片付けにかかった。
といっても一人分の食器なんて、すぐ洗い終わってしまう。
五分もかからずにペニサスのところへ戻ると、彼女はテーブルに突っ伏して眠っていた。
(´・_ゝ・`)『まったくもう』
と言いつつも、僕は怒る気になれなかった。
ぷすー、ぷすー、とかわいらしいいびきが聞こえてきたのだ。
今まで彼女のいびきなんて聞いた事がなかった。
疲れているから仕方ない、と思いつつも僕はおかしくて仕方がなかった。
つい出来心で鼻をつまんでみたら、それでいびきが治ってしまったからなおさら笑えてしまったのだ。
ちなみに本人はその件について何にも気付いていなかったりする。
きっと僕が言わなければ、ペニサスはずっと知らないままだろう。
(´・_ゝ・`)「……んん?」
寝室はもぬけの殻だった。
ベッドはきれいに整えられていて、人の立ち入った様子はない。
ついでに言うとベッドが冬仕様になっていた。
触り心地のよさそうなシーツにふわふわの掛け布団。
その上にはフリースで出来た毛布が掛けられていた。
このまま倒れ込んだら昼過ぎまで寝てしまうような、居心地のよさそうな空間が広がっていた。
が、そんな事をしている場合ではない。
羊は居るのに、ペニサスが居ない。
胸元がそわそわとしだして、僕は必死で考えた。
(´・_ゝ・`)(…………見てないのはトイレくらいしかないぞ)
寝室を後にし、再び僕は羊の横を通り過ぎた。
よく見ると羊の周りには缶ビールの空き缶とスナック菓子の袋が散らばっていた。
ゴミ箱にでも突進したのだろうか?
だとすると結構この羊は気性が荒いのかもしれなかった。
ぶるりと背中が震え、羊を起こさないようますます気をつけて廊下に出た。
(´・_ゝ・`)「……ペニサスー」
トイレに向かって小さく呼びかけてみる。
リビングからそう遠くない距離にトイレはある。
ノックなんかしたらかなり音が響くだろう。
(´・_ゝ・`)「ペニサス、ちょっと」
もう一度僕は呼びかけた。
…………無音。
ためしにドアノブを回してみる。
ガチャリ。
開いてしまった。
開けていいんだろうか。
葛藤しつつほんの少し覗いてみると、そこには誰もいなかった。
(´・_ゝ・`)(あてが全部外れた)
少し悩んで、僕はリビングに戻ることにした。
どうしても廊下は寒いし、そろそろ座る場所も欲しかった。
(´・_ゝ・`)「起きてくれるなよー……」
そろそろとソファーに寄り添い、思わず呟いた。
ここに座ると羊とも距離を詰めることとなる。
ますます緊張感が高まり、溜め息が出た。
(´・_ゝ・`)「なんでもう、連れて帰ってきちゃうかなぁ」
ふと思い出したことがあった。
先月、僕たちは旅行をしに隣県まで足を伸ばしていた。
その時、牧場に立ち寄ったのだ。
羊の毛刈りショーを見て、餌をあげて。
なんならジンギスカンの店もあった。
が、流石に食べる気にはなれなかった。
さっきまで可愛がっていたものを食べる気にはなれなかったのである。
(´・_ゝ・`)(ああ、そういえば)
餌をあげていた時、ペニサスは羊に襲われていた。
手に持っていた餌を強奪され、それを食いっぱぐれた羊がスカートを食んでいた。
きゃあきゃあ叫びながらペニサスはスカートを引っ張りなんとか脱出を果たした。
僕はというとのんびり子羊に餌をあげ、その様を微笑ましく眺めていた。
('、`*川『なんで助けてくれなかったの!』
頬を赤く染め、詰め寄る彼女に僕はなにも言わずに微笑んだ。
(´・_ゝ・`)(慌てているところを見ているのが楽しかったからだよ)
などと言えるわけもなく、平謝りしながら彼女の拳を背中で受け止めることとなった。
('、`*川『ほんとに怖かったんだから』
(´・_ゝ・`)『……ごめん』
しおらしい様子に、少し罪悪感を抱いた僕はこう言った。
(´・_ゝ・`)『好きなもの買っていいよ』
('、`*川『……なんでも?』
(´・_ゝ・`)『うん』
それでもう、彼女の機嫌はすっかり治ってしまった。
クッキーだの飲むヨーグルトだの自家製のベーコンにジャムにドレッシング、その他にも色々。
食べるのに一月は困らないほどの量を買い占め、彼女は満足そうに笑っていた。
一方僕はカードの引き落としが永遠に来なければいいのにと願っていた。
(´・_ゝ・`)『食べ物ばっかりだな』
('、`*川『牧場で売ってるものってみんな美味しそうなんだもの』
(´・_ゝ・`)『形に残るものはいらないの?』
それに対してペニサスは少し考えて、それから一つのピアスを持ってきた。
('、`*川『これ、少しほしいかなって思ったんだけど買いすぎかなーって』
(´・_ゝ・`)『今更そんなこと言って減らしたってね、かわりばえしないよ』
袋を取り上げ、まじまじとそれを見た。
数本のチェーンが連なり、その途中や末端からは小さな赤い石がぶら下がっている。
なかなか悪くないデザインで、きっとよく似合うだろうと思った。
(´・_ゝ・`)「…………あ」
今まさに、そのピアスが羊の耳からぶら下がっていた。
(´・_ゝ・`)「いやいや、まさか……」
言い聞かせるようにそう呟き、しかし疑念を退けることは出来なかった。
(´・_ゝ・`)(…………)
ペニサスが、羊に、なってしまったなどと。
そんなの信じたくなかった。
信じられるわけがなかった。
だけど見つめれば見つめるほど、どういうわけかこの羊はペニサスなのだという確信が強まった。
まったくもって信じがたい話である。
いやはや。
(´・_ゝ・`)「……ペニサス」
そっと名前を呼んでみる。
眠りこけている羊の耳が二、三度揺れ動く。
名前を呼ばれたから反応したのだろうか。
それとも人の声がしたからだろうか。
僕はおそるおそる手を伸ばした。
ゆっくり、ゆっくり。
五センチ、三センチ、一センチ……。
ほんの少し、指先が毛先に触れた。
羊は眠ったままである。
僕はさらに手を近付けた。
ごわごわとした毛の感触。
見た目やそのイメージに反して羊の毛はしっかりとしているのだ。
件の牧場で僕も触ったのだからそれはよく覚えていた。
重要なのは、その触り心地と全く違わないことだった。
作り物ではない。
本物の羊の毛だ。
(´・_ゝ・`)(ペニサス……)
毛並みを掻き分け、地肌に触れてみた。
とくとくと血の脈打つ感覚。
首筋を触っているせいか、その勢いははっきりと手のひらに伝わってきた。
脳裏に一つの光景が思い浮かぶ。
胸から勢いよく血を流す羊だ。
羊は祭壇の上に乗せられていて、その下には血溜まりができていた。
赤い池の中央には、それを受けていたと思われる杯が鎮座している。
宗教画でよく見かける光景だ。
(´・_ゝ・`)「……」
僕は羊の肌に柔く爪を立て、掻っ切るようにその首を撫ぜた。
途端、温かな液体が噴出し、右手が赤く染まる。
びくりと痙攣し、羊は驚いたように鳴いた。
どうやら目を覚ましたらしい。
僕はやんわり羊に向かって微笑んだ。
(´・_ゝ・`)(そういえば、羊の目は人と違うんだった)
真一文字の瞳孔は、極限まで太くなっていた。
気付くと床に赤い水溜りが出来ていた。
が、羊の毛は相変わらずごわごわとしたままで、特に濡れている様子はなかった。
('、`*川『羊の毛には撥水効果があるのよ』
ふとペニサスの声が蘇る。
('、`*川『油を含んでいて、それが水を弾いてくれるんだって』
さっき牧場の看板に書いてあったのよ、と記憶の中のペニサスははにかんだ。
その間にも血溜まりはどんどん広がっていく。
小さなテーブルの脚にも血。
僕の靴下にも血。
羊の後ろ足にも血。
じっとりと濡れた靴下は妙に生暖かくて、しかしそれが心地よく思えた。
(´・_ゝ・`)「切ってしまったのはいいけれども、」
知らず知らずのうちに、言葉が口から飛び出した。
(´・_ゝ・`)「このあと、どうすればいいのだろう」
その言葉が耳へと入り、そうしてようやく意味を理解した。
(´・_ゝ・`)(食べてしまえばいいのでは)
咄嗟に出た言葉に、僕は自然と納得していた。
そうだ、食べてしまえばいいのだ。
食べたこともないし、捌くなんて芸当もしたことがないが。
それでも僕はやる気になっていた。
(´・_ゝ・`)「食べるとしたら何がいいんだろうね」
虚ろな目でこちらを見る羊を、いや、ペニサスに聞くように僕は言った。
ペニサスは力なく瞬きをした。
目を閉じて、それから数十秒が経って、ゆっくりと目蓋がこじ開けられた。
余命が幾許もないのだろう。
それでも僕を見つめてくれるのが、どういうわけか幸せだった。
牧場で見かけたジンギスカンの看板に嫌悪していたのに、今はそんな感情もなかった。
(´・_ゝ・`)(どうかしてるな)
しかし、今更歯止めがきくこともなかった。
羊になったペニサスはきっとおいしいはずである。
体温の低くなった彼女の体はとても柔らかく、触り心地も非常によかった。
なんてなめらかな触り心地なのだろう。
そういえば、羊皮紙なんていうものもある。
(´・_ゝ・`)(もし目の前にそれがあったなら、どんな文章を綴ろうか)
勿体無くて何も書けない可能性もある。
鞣して小物に加工してもいいだろう。
(´・_ゝ・`)(まあ、それは後で考えればいいか)
この下には、僕が食べる肉が眠っている。
これを食べない事には話が進まない。
まずはやっぱり、ジンギスカンだろうか。
緩やかな山のような形をした鉄の鍋が頭の中に思い浮かぶ。
鍋はかんかんに焼けていて、煙がうっすら立っている。
油を引こうと鍋に手を伸ばす。
熱はじりじりと僕の手を焦がす。
鍋から視線をずらす。
そこには円形に加工された薄紅色の肉が整然と皿に盛り付けられていた。
僕は、その肉を箸で摘み上げた。
肉はごく薄くスライスされていて、僕は儚さと感極まるような緊張感が同居した不思議な気分を味わった。
言うならば、日常的に行われている瑣末な挙動をカメラで連写し、それをじっくりと眺めているような感じである。
時を切り取られた対象は息をせず、しかし新鮮さを失わずに死んで存在している。
(´・_ゝ・`)(まるでスナップフィルムのようだ)
決して動かない被写体、もとい肉を眺めてそう思った。
鍋の頂きに彼女をのせると、賑やかに焼ける音が響いた。
裾野の部分には、たしか野菜を置くはずであった。
肉汁が鍋の溝を伝って野菜に染み込むのだと聞いたことがある。
きっと肉汁には旨味がたくさん詰まっているのだろう。
薄っぺらの彼女はたちまち綺麗なブラウンへと早変わりした。
野菜をひっくり返す間もなく僕は彼女を口に運んだ。
柔らかい。
焼き縮れた脂身が口の中でとろけた。
同時にふわんと、乳臭さが鼻に抜ける。
ああたしかに、これは人を選ぶ風味なのかもしれない。
だけど、美味しい。
美味しい肉だった。
僕は夢中になって肉を焼き始めた。
その間に野菜も、肉汁に絡めていただいた。
片面が少し焦げているがあまり気にならなかった。
彼女の肉汁も、やはり美味しかった。
(´・_ゝ・`)(だけどもっと厚みのある状態で食べたいな)
せっかく食べてもその味や食感はほんの一瞬で消え去ってしまうのだ。
だったらやはり、ステーキのようなボリュームのあるものも食べてみたかった。
ああそれと、どうせなのだから骨も一緒に焼いてしまいたい。
食べるのに手間がかかるが、骨から肉を削いで食べると一層ペニサスを口にした気分になるのではないだろうか。
(´・_ゝ・`)「君もそう思わないかい、ペニサス」
半ば目が開いている羊に向かって、僕はそう問うた。
ペニサスはすっかり事切れていた。
床を見ると、リビングどころか廊下にまで血が流れてしまったらしい。
僕は、初めて彼女の首から手を離した。
そしてソファーから立ち上がり、艶やかな赤黒い床に跪いた。
(´・_ゝ・`)「まるで猟奇殺人だね、これは」
羊の首に腕を回し、抱きついた。
(´・_ゝ・`)「だけど君は羊だから、羊になってしまったから、これは屠殺なんだ」
そうだろう、そうなのであろう。
人ではない。
今のペニサスは羊で、人ではない。
だから僕は人を殺してなんかいない。
僕が食べたのはペニサスだけど羊であって人ではない。
僕は人食いではない、殺人者でもない。
生き物を殺して食べることはごくごく自然なことなのに、どうして君だと思ったら妙な呵責に苛まれているのだろう。
宗教画に倣って羊を殺した、食べたくなったから食べてみた。
たしかに幸福に満ち溢れていたのに。
(´・_ゝ・`)「ペニサス」
羊毛に顔を埋め、彼女の名前を呟いた。
ひどく眠かった。
どっと疲れが押し寄せてきて、頭が痛くなった。
一週間碌に顔を合わせることができなくて、ようやく会えたのに。
(´・_ゝ・`)(バカなことをしてしまった)
瞬きの間隔が長くなり、とうとう僕は目を瞑ってしまった。
目蓋の裏からじんわりと、睡魔が滲み出す。
それは網膜に入りこみ、やがて脳へと染み渡った。
(´・_ゝ・`)(あ、)
ペニサスだ。
まだ彼女が大学に通っていた頃の姿だった。
彼女はいつも僕の二つ前の席に座っていた。
いや、僕が彼女の二つ後の席に座ったのかもしれない。
ともかく僕たちは離れていたのだ。
その背中を見つめながらも、関わりを持つことはないだろうと思っていた。
僕はその時会社を辞めたばかりで、もちろんどこの学部にも属していなかった。
ただ何もすることがないから、一人でいると気が滅入るから、何かに打ち込んでいるふりがしたくて大学に通っていた。
声をかけてきたのはペニサスの方からだった。
いつも座っていた席にたまたま先客がいて、空いているのが僕の隣だけだったのだ。
所属や年齢を聞かれ、僕は苦笑いをしながら事情を話した。
家に帰る暇もないくらい仕事に明け暮れていたら何がしたいのか分からなくなって辞めてしまったんだ。
そう話した時、ペニサスはこう言ったのだ。
('、`*川『たくさん、頑張ってきたんですね』
頑張ってきた?
僕が?
いくら居残っても仕事を終わらせることが出来なかった無能のどこを見て頑張ったと言えるのか?
卑屈な僕は、僕を気遣ってくれたに違いない彼女を憎く思った。
僕は一度だって自分のことをそんな風に評価しなかった。
出来なかった。
許す事ができなかった。
褒め言葉を貰うのだって初めてで、どうすればいいかわからなくなった挙句に憎悪するなんて。
どうしてこんな欠陥品のような心を持ってしまったのだろう。
短い沈黙の合間に、僕の感情はぐるぐると変わっていった。
なおも彼女は話し続けていた。
それは大体僕を励ましたり、耳障りのいい言葉ばかりで。
(´・_ゝ・`)『そんなに優しくしたらいけないよ。君のことを勘違いしてしまうだろう』
と遠回しに拒絶したら、
('、`*川『勘違いするかもと思ってる人は、勘違いしないわよ』
なんて屁理屈が返ってきて。
(´・_ゝ・`)(ああ、なんだかよく分からないけどこの人との話はあまり疲れないなあ)
そう思ってしまった。
僕はもっとペニサスと話がしたいと思ってしまった。
ペニサスも僕のことを放っておけなかったようだった。
逢瀬を重ねるうちに、僕たちの仲はどんどん進展していった。
出会って一年が経った頃には、互いの家に入り浸るようにまでなっていた。
('、`*川『就職したらデミタスの所に引っ越そうかなー』
(´・_ゝ・`)『二つもベッドを置くスペースがないよ』
('、`*川『セミダブルでいいじゃん』
(´・_ゝ・`)『……それでいいの? 君は』
('、`*川『いいよ』
(´・_ゝ・`)『…………』
僕なんかと関わりを持たない方が彼女の為だったろうに。
一回り半も年下の女性に優しくされるのが、頼ってもいいと言われることに、心地良さを見出してしまったのが、いけなかったのだ。
ペニサスが大学を卒業する頃、僕は今勤めている会社に入社することができた。
三年近くも無職でいたのに、よく採用したなと僕は驚いた。
が、同時に嬉しくもあった。
これからはペニサスのために働くのだと僕は心に決めていた。
少しでも彼女に対する負い目や劣等感を潰したかった。
がむしゃらに働いて彼女の欲しいものを差し出せば、この空虚なプライドも満たされるだろうと考えていた。
(´・_ゝ・`)(実際には逆だった)
物理的、心理的な距離が伸びる度に、彼女の真っ当さは増していった。
何の為に働いていたのかも忘れかけていた。
ただとにかく、こんなにも身を粉にして何もかもを君に捧げているのだから、君も僕を愛して欲しいのだと。
僕は、ペニサスに、甘えていたのだ。
(´・_ゝ・`)(ペニサスだって、一生懸命僕のそばにいてくれているのに)
どこにも行ったことのない僕を外へ連れ出してくれたのは彼女だった。
欲のない僕に初めて目標を与えてくれたのも彼女だった。
人を初めて好きになったのも彼女だった。
(´・_ゝ・`)(ペニサスにはかなわないなぁ)
はは、と自嘲の笑みが溢れかけた時だった。
(´・_ゝ・`)「ぐへっ……!」
突然僕は床に放り出され、頭を打った。
寝ぼけ眼を慌てて開くと、そこには顔を真っ赤にしたペニサスがいた。
('、`*川「か、」
か細いその声は、震えていた。
('、`*川「帰ってきてたの……?」
(´・_ゝ・`)「ああ、うん……。多分だいぶ前に」
あたりを見渡しながら答える。
フローリングに血は広がっていない。
羊もいない。
羊のいた場所には、ペニサスがへたり込んでいた。
(´・_ゝ・`)「どうしたの?」
('、`*川「だって、起きたらデミタスが抱きついて寝てたから」
(´・_ゝ・`)「…………」
しばし考え、僕は声をあげて笑ってしまった。
ペニサスに抱きついたことなんて、今まで滅多になかった。
触れることすら怖くて、ずっと逃げていたからだ。
(´・_ゝ・`)「ごめん、疲れて白昼夢を見ていたんだ」
ひとしきり笑った後、僕はようやく答えることができた。
('、`*川「何時だと思ってるの」
(´・_ゝ・`)「ちょうど十二時じゃないか」
('、`*川「夜中のね、夜中の。どんな夢を見たの?」
(´・_ゝ・`)「まあ色々とね」
馬鹿正直に話せるわけがなかった。
言ったところで引かれるのが関の山だろう。
(´・_ゝ・`)「君こそ、ここで何を?」
('、`*川「……最近まともに顔見てなかったから、今日は帰ってくるまで待とうかなーと。お酒飲んでる内にうたた寝しちゃってたみたい」
(´・_ゝ・`)「………………いじましい人だね君は」
やっと出てきた感想にペニサスは噴き出した。
('、`*川「ドラマの台詞みたい」
明るい笑い声につられてピアスのチェーンが揺れ動く。
しゃなしゃなと石は赤く煌めいた。
(´・_ゝ・`)「現実的な言葉の方がいいかい?」
('、`*川「どっちでも、デミタスの好きなように」
(´・_ゝ・`)「そうだ、ジンギスカン食べに行こうよ」
('、`*川「……待ってこの流れでジンギスカン来るのおかしくない?」
(´・_ゝ・`)「明日なら定時で帰れそうなんだよ。だから羊を食べに行こう」
('、`*川「牧場行った時にジンギスカン食べようって言ったら散々ごねたのは誰でしたっけ?」
(´・_ゝ・`)「それとこれとは別だよ、ペニサス」
恥ずかしい話題を掘り返され、微かに頬が紅潮してきた。
それを見たペニサスは、ふふんと殊勝な笑みを浮かべた。
('、`*川「初めてだね」
(´・_ゝ・`)「羊を食べに行こうと思ったことなんか今までなかったからね」
('、`*川「じゃなくて、初めてデミタスが行きたいところを教えてくれた」
(´・_ゝ・`)「…………」
('、`*川「お店、探しておくから絶対早く帰って来てね」
(´・_ゝ・`)「頑張るよ」
どうして羊を食べたくなったのか。
君の事が大事だと再認識したのか。
触れる事に抵抗がなくなったのか。
どんな思いで君に接していたのか。
君に話す事はないだろう。
君を食べる事もないだろう。
(´・_ゝ・`)(何も知らなくていいから僕の事をずっと好いていてほしいね)
どこか遠いところで、羊が鳴いた様な気がした。